2012年05月30日 13:00 IWCC第59回総会に出席して(2)  (於:米フェニックス)


 今年の総会の最終日には、例年6月にニューヨークで開催される「COPPER CLUB」のANKH賞授与式が、COPPER CLUB ANNUAL DINNERとして同時開催されました。


右からCOPPER CLUB会長のA.MIELE氏、IWCC会長のJ.Ryu氏、於:ANNUAL DINNER ANKH賞は、「COPPER MAN OF THE YEAR 」として、昨年私が頂いた賞です。今回は、米国の銅産業の中心であり、今年48番目の州になってから100周年を迎えたアリゾナ州の過去から現在まで銅産業に従事した人々に贈られました。授与式では、代表してアリゾナ州知事のMs. Jan Brewerに贈呈されました。昨年の受賞者として招待を受け、夕食会で同席致しましたが、なかなか勇ましい女性でした。


 アリゾナ州は5Cの州と呼ばれます。5Cとは、Climate(気候)、Cotton(綿花)、Citrus(柑橘類)、Cattle(畜牛)、そしてCopper(銅)。米国で最大の銅産出州で、銅をはじめとする鉱業は、州にとって非常に重要な産業となっているそうです。


 総会では、2012年10月1日から2014年9月末までの2年間、私がIWCC会長を務めることが決まりました。その場で、一言スピーチを頼まれましたので、「IWCCには、ロンドン駐在から始まり25年以上関わっており、恩返しをしたい。また、2013年の総会は、日本での開催となりますが、皆様を心から歓迎したい。」と挨拶をさせて頂きました。

2012年05月28日 16:15 IWCC 第59回総会に出席して(1) (於:米フェニックス)


 IWCC(*1)では、毎年一回、総会と同時に産銅メーカーとの合同会議を開催しています。今年は5月13日から17日に亘り米国アリゾナ州フェニックスで、AMERICAN COPPER INDUSTRY(ACI)の後援も得て約200名の参加者が出席し盛会となりました。5月12日、日本を発ち18日に帰国、丸一週間の海外出張でした。


ARIZONA BILTMOREを背にして フェニックスは、年間300日が晴天と言われ、特に冬が快適、米国東部や北部の人にとってはあこがれの避寒地です。また、総会会場の「ARIZONA BILTMORE」は、近代建築3大巨匠の一人フランク・ロイド・ライトの設計により1926年に建てられた由緒あるホテルでした。


 会議では、「経済状況」を見識者から講演、「銅業界の生産から消費の流れと予想」を各国代表から、「LME(*2)の抱える構造問題」をLME会長から、「銅の拡販に欠かせない新分野の開発状況」を生産側から等、各方面から報告があり、活発な質疑応答がなされました。


 今、銅の世界には、実態経済を担う伝統的産業グループと新たに金融投資対象として銅を扱うグループが参入し、銅価格の急激な乱高下が銅資源の有限性も相まって、実態経済を担う加工業者(IWCCメンバー)の経営に暗い影を落とし続けています。世界最大の取引所(LME)の対応にも常々クレームを投げかけておりますが、ままなりません。


ARIZONA BILTMOREを背にして また、技術の進歩がもたらす代替材料の話は、IWCC総会でも常に話題にあげられます。アルミ、光ファイバ、高温超電導材料、カーボンナノチューブ、プラスチック等、有力な代替材料候補が実用化され、徐々にではありますが市場の認識が高まってきています。人間の知恵が、何千年もの銅の世界をどう変えていくか興味のあるところです。


ちなみに、Welcome Reception(前夜祭)において、ジョージ・W・ブッシュ前大統領の講演会が開かれました。気さくな感じの方でした。


(*1) IWCC:International Wrought Copper Council(国際銅加工業者協議会)
(*2) LME:London Metal Exchange(ロンドン金属取引所)

2012年05月25日 16:00 朝日新聞「寛彩人」その5


朝日新聞大阪本社版 関西総合 2012年4月29日掲載「寛彩人」【5】
「新社会人の皆様へ」


 前略
 光陰矢の如し。4月で会社生活丸45年になりました。
 一人で放り込まれたシカゴから33歳で帰任し、米国に販売会社設立を、と訴えると「海外かぶれ」と一蹴されました。15年後、今度はロンドンから戻り、電装品など自動車関連製品の研究会社設立を提案。これもローテクだのリストラ分野だのと反対されましたが、その後、粘り強く説得。ともに実現し、今日の事業につながっています。
 2度の海外を含め常に新しい環境、異なる分野に身を置いてきました。苦楽相半ばですが、新社会人の皆様のお役に少しでも立てれば、と筆をとります。


 最初は戸惑いつつ、3日・3週間・3カ月・3年と区切り、目標を作りました。引き継ぎ書を読み上司と対話する。一つ先の立場で考えれば視野も広がります。実行段階では周到な準備、目標達成への情熱と執念が必要だと痛感しました。
 立場に応じ手法が変わっても、基本は完遂する意欲を自他に示すことです。陰日なたなくベストを尽くす。誠心誠意、真面目に、正々堂々は「信用と信頼」を得る要所です。
 

 売るための戦略がなければ、商売は成り立ちません。「原則論なき手法論」を極力避けるよう心掛けました。車で全米を行商した1970年代、「現場・現物・現実」の三現主義に基づき、「大きな機械を使う米国では小型切削工具は売れない」と主張し、画一的な本社と衝突。時には米国詩人ロングフェローの人生讃歌を口ずさみ、より良い明日を信じ努力しました。


 あるべき、ありたいと思ってきた人生訓は「自然体」と「平常心」です。人生には思いもよらぬことも起こります。対応は付焼刃でなく、一貫していなければなりません。教養を高め、偏狭な独断的思考に陥らぬよう努力し続けることが肝要です。健康に留意され、堂々と人生を歩まれますよう祈念します。

草々


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2012年05月23日 11:15 朝日新聞「寛彩人」その4


朝日新聞大阪本社版 関西総合 2012年4月22日掲載「寛彩人」【4】
「平和を願う心は同じ」


 名古屋市東山地区の一角にある平和公園は、戦後復興を進める都市計画の一環として、市内に点在する279寺から墓石約19万基が移転されました。今では緑豊かな市民の憩いの場となっています。かつて近くに住み、よく散策したものです。


 園内の小高い丘に、平和堂という美しい緑の釉掛本瓦葺(ゆうかけほんかわらぶき)の屋根をもつ高さ23メートル、基壇の一辺7メートルの中国風の四角い御堂が建立されています。小壁面には戦争の悲惨さ、虚しさが表現され、大壁面には平和と生きる喜びを表す母と子の浮き彫りが、そして四隅には浄美、意志、母性、英知を意味するガンダーラ調の石像が配されてます。基台部の青龍(東)、朱雀(南)、白虎(西)、玄武(北)のダイナミックな浮き彫りとともに、目を楽しませてくれます。


 御堂内部には高さ4メートルの木彫で、全身金色に彩色された千手観音像が安置され、お彼岸とお盆にご開帳されます。説明文によると、もともと中国・南京市の毘盧寺法堂に蔵されていたものです。戦火さなかの1941(昭和16)年に平和を願う名古屋市民が、日中戦争による両国犠牲者の冥福と両国の親善、人類永遠の平和を祈って、市内唐山にあった高さ10メートルの木造の十一面観音像を南京市に贈ったところ、南京市民から答礼として贈られてきたとあります。


 37(昭和12)年7月7日、盧溝橋事件に端を発した日中戦争は、太平洋戦争へと拡大し、8年後の敗戦まで泥沼化しました。この観音像の交換を、日本軍部による人心安定の工作と見る向きもありますが、激しい戦いのさなか、憎しみを越えた普遍的な人間の真心、特に平和を願う心の存在を、両国の一般市民が実証したものだったのではないでしょうか。
 そうした史実を思い、慈愛に満ちたご尊顔を拝するに、一国のリーダーは国家運営という重い責務を真摯に受け止め、誤りなく国民を導くことに努めなければならないと思うのです。


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2012年05月21日 13:30 朝日新聞「寛彩人」その3


朝日新聞大阪本社版 関西総合 2012年4月15日掲載「寛彩人」【3】
「崇高なる精神 いまこそ発揮」


 経営者の判断力、真の手腕が問われる自己責任経営の時代です。その契機は、1ドル=200円台の円安ドル高時代を終わらせた1985年のプラザ合意でした。膨大な貿易黒字を稼ぐ日本企業のパワーに当時、世界は震撼。停滞する米国経済を尻目に「Japan as No.1」との最高評価を受け、「もはや欧米に学ぶものなし」と豪語する経営者も現れました。しかし、栄華はつかの間でした。


 バブル崩壊を経て、国内経済は暗く長い閉塞状態「失われた20年」に突入。そして現在、円高、電力不足など六重苦に直面する企業は活路を求め海外へシフトし、2015年には経常赤字化も予想されています。国内総生産(GDP)の2倍の政府債務を抱えるのに、政治はバラマキを繰り返し、首相交代は年中行事のような有り様です。


 戦後の壊滅状態からGDP500兆円の経済大国へ駆け上がった日本。85年以降を顧みるにつけ、その原動力となった国民の深層に脈々と流れる精神的特性を、明確に再認識する時期を迎えていると思います。


 「21世紀は日本の世紀」と言った米国の未来学者ハーマン・カーン博士が68年に来日。戦後の復興を信じ、奇跡的な発展を遂げた当時の日本人の精神構造を、的確かつ客観的に指摘しました。いわく「進取の気性」「旺盛な冒険心」「革新的指向」「高い教育水準と向上心」「目的達成意欲」であると。また、「日本人は目標の達成と国家の栄光をオーバーラップさせる」とも述べています。


 東日本大震災で、他者を避難させ自らは犠牲になった方々、愛する人や家財を失った人々がなお、秩序を守り食料を分かち合う姿に、世界から称賛が寄せられました。カーン博士の言が今も生き続けていることに一縷の望みを感じます。今こそ、日本人に宿る、個より全体の利益や調和を大事にし、いかなる困難にも立ち向かう崇高な精神を発揮する時だと思うのです。


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住友電気工業(株)社長 松本正義

1944年生まれ、兵庫県出身。
1967年住友電工入社。中部支社長、常務取締役、専務取締役を経て2004年6月社長就任。
趣味はジョギング、読書、絵画鑑賞など。中学時代は野球、高校では柔道、大学では陸上競技のやり投げ選手としてインターカレッジ出場経験もある。

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