少し前の新聞に、ドイツのメーカーが開発した「次世代の自動車製造ライン」が展示会で大きな注目を集めた、との記事がありました。製造ラインに設置されたロボットが、上工程から送られてきた車体に埋め込まれたICタグの情報を読み取り、それに従って車を組み立てていくというもので、実用化されれば、量産並みのコストで多品種少量生産することができます。さらに、複数のロボットや工場をネットワークでつなげば、効率的でムダの少ない「スマートな生産」が可能になる、とも期待されているそうです。
1920年にカレル・チャペックがその戯曲の中で「ロボット」という言葉を使って以来、科学技術の大きな夢の一つとしてロボット開発が行われてきました。早くから製造業では、作業能率アップや悪環境下での作業代替などの目的で産業用ロボットが導入されてきましたが、近年は日常生活にもロボットが使われ始めています。掃除用のものはおなじみですし、最近のPCやスマートフォンの高度な機能を見ますと、機械が今後ますます人間の知的作業の領域に入って来ることも想像に難くありません。
機械の頭脳がどこまで進化するのか想像もつきませんが、 「決める」という作業には高いハードルがありそうに感じます。「決める」とは、未来への道筋を選ぶ作業でありますが、決断を支えるべき経験や情報は往々にして不十分で不確実ですので、先人の蓄積をどれだけ糧とし血肉としておけるかが、決断の成否を分けることも少なくないはず。ここに、私たちが古典に学びリベラルアーツを身につける意義があると思います。
とはいえ科学技術は日進月歩。情報収集、記憶、計算、分析に長けた機械のことですので、いずれ「決める」作業もできるようになってくるでしょう。機械の便利さに甘えて、自らの能力を高め仕事の質を上げる努力を怠っていると、気がつけばロボットの指示に従って働いているということにもなりかねない、というのは言い過ぎでしょうか。
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