ベルリンの壁が崩壊してから先月で25年が経ちました。まさに「光陰矢の如し」との感があります。
ちょうどその頃、私は英国子会社の社長としてロンドンに駐在しておりました。当時、ゴルバチョフによるペレストロイカが、東欧諸国の民主化を覚醒させ、「何かが起こるのでは」という、期待と不安が綯い交ぜになった空気が欧州全土を覆っていくのを日々肌で感じておりました。
そして、1989年8月にハンガリーで実行された「ヨーロッパ・ピクニック」が冷戦体制に風穴を開け、その3カ月後には、多くのベルリン市民が壁の上に登り、ハンマーで壁を壊そうとしている映像を、全世界が目撃することになります。壁の崩壊は、必然的に東西ドイツの統一につながるとともに、東欧諸国の民主化を加速させ、1991年末には超大国として米国と覇を競ったソ連までもが、あっけなく終焉を迎えました。
まだ揺籃期にあった当社の欧州ビジネスを任されていた私にとって、これらは想像を遥かに越えた出来事で、不安は尽きませんでしたが、「いま、まさに歴史の大きな転換点に立ち合っているのだ」と武者震いし、「自ら省みてなおくんば千万人といえども吾往かん」との心持ちで肚を括りました。これから世界がどういう方向に動いていくのか、経済はどうなるのか、毎朝の新聞を必死で読み、取引先などからも情報収集しながら、社員と話し合い、いろいろな可能性をシミュレーションして戦略を練り、欧州を飛び回った記憶があります。
もちろん現実には、うまく行かないことも多く、押し寄せる大小の波に幾度となく立ち往生したというのが偽らざるところです。それでも、決めた方針に向かって社員全員で地道な努力を続けたことを神様はお見逃しにならなかったのでしょう。それなりの果実の分配に預かることができ、苦労を共にした社員と別れを惜しみながらヒースロー空港を後にしたのが1992年でした。Time flies. |