プロジェクトid 社会課題への挑戦 次世代のものづくりを拓くマルチドリル

「マルチドリル」を海外マーケットへ

切削液を噴出しながら加工する「穴付きマルチドリル」

早く広く受け入れられた欧州市場
高い支持を背景に拡販が始まった

1984年に国内生産が開始されたマルチドリルの海外展開は、製品輸出による販売から始まっており、欧州市場拡販の拠点となったのがドイツ・デュッセルドルフだった。「住友の切削工具」の欧州市場拡販拠点である「Sumitomo Electric Hartmetall GmbH(SHG)」の設立は1981年。国内とほぼ同時に、マルチドリルの欧州市場供給が開始されている。しかも、国内より早く、広く売れたのは欧州だった。その背景の一つに、国内生産開始時期にドイツで見本市があり、そこでマルチドリルを発表し、世界初の鋼加工用超硬ドリルに大きな注目が集まったことがある。さらにドイツの製造加工現場の環境も影響した。マルチドリル本来の性能を引き出す高剛性の設備が多く、テスト後、すぐに採用されるケースが相次いだ。大手自動車メーカーや自動車部品メーカーを中心に、圧倒的評価を獲得する中、SHGは国内以上に在庫アイテムを拡充するなど、充実したサービス体制を確立して販売を拡大していったのである。

住友電工ツールネット(株) 専務取締役 岡本順
住友電工ツールネット(株) 専務取締役 岡本順

製造拠点、ドイツ・ラウハイム
市場ニーズに応える生産体制

マルチドリルが、ドイツを中心とした欧州市場で着実に支持を獲得する中、やがて現地生産の機運が高まった。東西冷戦が終結の兆しを見せ始め、現在のEU(European Union)の前身となるEC(European Community= 欧州共同体)の構想が模索されていた時期である。欧州におけるマルチドリルの需要増に応えるとともに、EC域内での関税障壁をクリアする意味でも、現地で早急に生産体制を構築することが課題となった。そして、住友電工グループは、ドイツ南部の都市・ラウハイムの切削工具メーカーが所有する工場の一部を買収、マルチドリルの生産を開始した。1989年のことであり、工具事業として初めての海外製造拠点だった。そのとき現地工場の責任者として赴任したのが、現在、住友電工ツールネット(株)で専務取締役を務める岡本順である。

「ラウハイムは当時人口6,000人程度の町で、日常的に英語を話さないドイツ人スタッフといかにコミュニケーションを取り、安定した品質の製品を製造するかが大きなテーマでした。国民性やビジネス習慣が異なる点から難しさはありましたが、粘り強く対応、相互理解を求めマネジメントしていきました。また、マルチドリルはグローバルレベルで高能率かつ高精度加工を実現していましたが、ユーザーはさらに高いスペック、性能を求めてきました。いわゆる特殊オーダー品への対応であり、単に製造現場のマネジメントのみならず、ユーザーニーズを的確にキャッチして生産の現場に反映させる取り組みを進めました」(岡本)

ドイツを拠点に欧州全域にその存在を示したマルチドリル。市場投入直後の欧州での爆発的なヒットを受け、同様の取り組みが米国でも進められた。今に至るマルチドリルのグローバルでの高い評価は、ドイツがその嚆こう矢し となったのである。

当時のドイツ工場

当時のドイツ工場

当時のドイツ工場(左)住友電工 会長 松本正義(左から3番目)当時の住友電工 社長 川上哲郎(左から4番目)現・住友電工ツールネット㈱ 専務取締役 岡本順

当時のドイツ工場
(左)住友電工 会長 松本正義
(左から3番目)当時の住友電工 社長 川上哲郎
(左から4番目)現・住友電工ツールネット㈱ 専務取締役 岡本順

買収調印式

買収調印式

現在のドイツ工場

グローバル市への挑戦
〜常州・上海発マルチドリル拡戦略〜