海底ケーブル敷設の様子(写真提供:日本電気株式会社)
光ファイバで通信を可能とする――この革命的なアイデアが生まれたのはおよそ60年前。そして1960年代、光ファイバの本格的な研究が進められ、1970年代に入って実用化の機運が高まった。このような状況の中、NTT(当時、日本電信電話公社)と住友電工を含むケーブルメーカー3 社が、光ファイバの共同研究体制を立ち上げる。そしてその過程で「VAD法」と呼ばれる量産性に優れた光ファイバの製造方法が発明された。さらに1980年代に入ると、「VAD法」は改良によって、より高品質かつ低損失な光ファイバを量産できるまでに高度化、本格的な商用化のフェーズを迎えることとなった。
光ファイバはガラスの塊である母材を作製し、それを加熱して細い糸状に線引きすることで作られる。ポイントは、一軸方向に引き上げながら多孔質ガラスを成長させ、大型のファイバ母材を作製することで量産性を高めたこと。加えて、不純物の少ないファイバ母材を作製することで低損失という高品質化も実現した。この「VAD法」の確立と進化が、「光通信の時代」への大きなステップとなったのである。
「VAD法」確立において課題の一つとなった「低損失」。そもそも「低損失」とは「伝送損失」の低減のことだ。では「伝送損失」とは何か。光ファイバ内を光が伝わる際、ある一定の距離を進むと光が光ファイバ外部へ一部散乱、あるいはガラス内に含まれる不純物で一部が吸収され減衰してしまうが、これが伝送損失となる。伝送損失が大きくなると、光信号が届きにくくなるため、通信するデータ量が制限され、通信速度が低下するなど、通信の品質や信頼性を損なう事態を引き起こすのだ(劣化した光信号を回復するためには光増幅器が必要となる)。したがって、住友電工グループの光ファイバ技術陣にとって、低損失光ファイバの実現は、常に追求してきた最大のテーマと言っても過言ではない。技術者として低損失光ファイバの開発に取り組んできた一人が、現在、光通信事業部企画部長を務める大西正志だ。
「低損失の実現に必要なことは、ガラスの透明度を上げることです。『VAD法』は不純物をできる限り排除しましたが、どうしても必要とされたのが添加物であるゲルマニウム。光ファイバはコアとクラッドで構成されますが、光を閉じ込め伝搬させるにはコアとクラッドの間に屈折率差が必要です。コアの屈折率を上げるにはゲルマニウム添加は避けられなかった。しかし当社が追求していたのは究極の低損失。そこで先輩たちはコア中のゲルマニウムを排除した光ファイバの開発を進めました。屈折率差を確保するためクラッドに屈折率を下げるフッ素を添加し、一定の透明度を保つ(低損失を実現する)新しい光ファイバを『Z-ファイバ』と命名して、世に送り出しました」
1986年のことだった。数値で示すと従来の光ファイバの伝送損失が0.20dB/kmだったのに対し0.154dB/km(研究レベル/製品レベルでは0.17dB/km)*という驚異的な低損失を実現、世界が驚いた光ファイバだった。
やがて、住友電工グループの光ファイバ技術陣は、自分たちが追求している低損失光ファイバが、今後必要とされる最適な領域をターゲットにする。低損失というメリットが特に有効に発揮されるのが長距離通信であり、その最大規模とされるのが海を渡る「海底光ファイバ」 だった。世界ではすでに、1988年に第8大西洋横断ケーブル「TAT-8」で光ファイバが導入され、それに続いて1989年に第3太平洋横断ケーブル「TPC-3」でも光化されていた。これによって国際電話はかなり身近なものとなったが、その後もさらなる伝送容量拡大を狙った検討が進められた。1992年に「Z-ファイバ」を採用した第4太平洋横断ケーブル「TPC-4」が建設され、TPC-3の2倍の伝送容量を実現。「Z-ファイバ」の低損失性が大容量化に大きく貢献したのである。ここで留意したいのは、送受信光デバイスの高性能化も大きな役割を果たしたが、低損失海底光ファイバの重要性が広く認識されたということだ。
* dB(デシベル)は伝送損失を表わす単位。0.17dB/kmは1km当たり0.17dBの損失を意味し、伝送路の長さを掛け算することで伝送路全体のロスを見積もることができる。
こうして低損失光ファイバは海底ケーブルに採用されたが、一方で新たな課題が鮮明になってきた。「波長分散」という問題だ。光ファイバの使用波長は半導体レーザの進化に伴い、0.8㎛、1.3㎛、1.55㎛と長波長化してきたが、大きなインパクトをもたらしたのが1.55㎛の登場である。1.55㎛帯は光ファイバの伝送損失が最少となる波長帯であり、長距離伝送に適するものとされた。しかし住友電工グループの「Z-ファイバ」は1.55㎛帯では世界最低損失であるものの、「波長分散」という特性がゼロではなく伝送容量を制限していた。波長分散とは、波長によって光の伝達速度が異なる現象で、光パルスはわずかな波長拡がりを持つために、波長分散によってパルス波形が時間領域で広がり、高速伝送ができなくなってしまう。住友電工の研究陣は、低損失を維持したまま、1.55㎛帯で「波長分散」ゼロの実現を目指す取り組みを開始した。
「波長分散をいかに抑制しゼロに近づけるか。そのためには添加剤などで、コアとクラッドの分布形状を変え、波長分散特性を変える必要がありました。文字通り、必死の取り組みでしたが、どのように試みても伝送損失の値が上がってしまいました。断腸の思いでその開発は断念したのです」
その後も海底光ファイバの導入は拡がっていったが、それらは「Z-ファイバ」が実現した低損失光ファイバとは異なる、かつてのゲルマニウム採用の1.55㎛帯の波長分散をゼロ付近に制御した光ファイバだった。
2002年から約10年間、IT業界をめぐる経済環境の混乱も加わり、住友電工グループの海底光ファイバ事業は停滞を余儀なくされる。その中でも「伝送損失がより低い光ファイバは社会に大きなメリットをもたらす」という代々継承されてきた信念のもと、極低損失を目指した光ファイバの開発は進められていた。状況が激変したのは、2010年頃のデジタルコヒーレント受信技術の登場だった。波長分散によって歪んだ信号をそのまま受信し、信号処理回路の演算で歪みの補正処理を行うというものだ。この技術を実用化できる目処が立ったのをきっかけに、光ファイバに求められる波長分散特性が劇的に緩和されることになり、低損失要求が一気に高まった。このタイミングで開発リソースを増強し、 その取り組みが結実したのが2013年のことだった。開発の中心メンバーの一人が、現在、光通信事業部海外技術部の平野正晃である。
「伝送損失の極小化。その実現のためにテーマとしたのが、ガラスの透明度を従来以上に高めることでした。光ファイバガラスの屈折率は均一と捉えられがちですが、実際には“ゆらぎ”があります。つまり均質ではないのです。我々はナノオーダーでそのゆらぎの極小化を進めました。すなわち、ガラスのゆらぎを小さくし透明度を向上させることが、極低損失光ファイバの実現につながると確信したのです」
平野らの取り組みの結果、2013年に製品レベルで0.154dB/kmの光ファイバを生み出し、世界の注目は再び住友電工の光ファイバに集まった。まさに、起死回生の始まりだった。開発はさらに加速する。2017年、研究レベルで伝送損失0.142dB/km(製品レベルで0.150dB/km)を達成、光ファイバ伝送損失の世界記録を更新。これら平野らの開発と並行して海底ケーブルでの採用が急増、世界トップシェアのポジションを獲得するに至ったのである。
次世代の光ファイバ開発に向けた取り組みも加速している。それを担う一人が光通信研究所・光伝送媒体研究部の長谷川健美だ。
「当研究所にとって、極低損失光ファイバの開発は終わらないテーマとしてあります。さらに世界記録を更新していくこと。同時にコストや生産性を見据えつつ、また顧客のニーズを的確に把握しつつ取り組んでいきたいと考えています。一方で、光ファイバ1本の伝送容量が限界に近付きつつあります。それに対応するため、コアの数を増やすマルチコア光ファイバなどの新たな開発にも挑戦していきたいと考えています」
研究開発の現場とマーケットを見据えて、住友電工グループの光ファイバ世界市場でのプレゼンスを高める役割を担っているのが、光通信事業部および光通信研究所、いずれにも籍を置く小谷野裕史である
「顧客を訪問し先を見据えてヒアリングを重ねること、それが重要です。低損失は当社の光ファイバのキーテクノロジーであることは確かですが、顧客は単に品質だけではなく、トータルでのコストダウンも求めてきます。先行して技術を追求しつつ、顧客にとって最適となる光ファイバを提供していきたい。アグレッシブに世界の未踏のマーケットを切り拓いていきたいと思っています」
約40年の歴史を持つ住友電工グループの光ファイバ。「多くの先輩たちが諦めずに取り組んできた」(大西)その想いと信念は、確実に継承されている。独創の技術にこだわり、「世の中にないものを生み出す」、そのたゆみない取り組みが次代を切り拓く――。