真っ赤に燃える精錬された銅。トロリ線の源流はここから始まる
L&Tは、契約交渉が山場に差しかかった段階で、最新の設計変更に基づく新たな製品仕様を求めてきた。その内容は導電率の向上だった。今回のプロジェクトでは高速接触に耐えられる高い耐摩耗性が求められた。しかし、耐摩耗性と導電性能は相反する関係にある。このテーマに取り組んだのが、当時、大阪導電製品事業部の開発技術グループに所属していた西川太一郎である。
「そもそも、私たちは素材として銅+錫の合金を提案していました。インド本国は純銅であり欧州は銅+銀が主流。台湾新幹線での導入実績もあり、銅錫合金が最適と考えました。導電率を上げることは、耐摩耗性が減じることになりかねません。しかし、私たちは、過去の知見を結集し、様々なノウハウを駆使し、先方の要求に応えたのです」(西川)
交渉は、仕様交渉・価格交渉の最終局面を迎えていた。当時、トロリ線生産を担う導電製品事業部長だった南条和弘の「三振してもいい、ブレないでもらいたい」という言葉が営業の背中を押した。ハルデッシュも加藤も最後の仕様・価格交渉であることはわかっていた。そしてその夜、ハルデッシュにL&T から「明日打ち合わせしたい」という打診があった。ハルデッシュはその連絡を受けて、契約交渉合意の高い可能性を確信した。こうしてフェーズ1 に供給されるトロリ線約3,000tを受注、2016年10月のことだった。
後に、加藤がL&Tにヒアリングしたところによれば、住友電工グループを選定したポイントは、価格、納期に加えて、真摯な態度(Attitude)だったという。「カスタマーフレンドリーな会社」という評価も受けた。
「戦いともいえる厳しい交渉でしたが、ビジネスの基本である信頼関係を徐々に築き、相互理解を深めていったことが、受注の決め手になったと思います。受注が決まったときは安堵感と嬉しさがありましたが、それも一瞬。確実な生産と納入に向けて、インドと大阪の工場の間に立ってコーディネートしていく役割を担うことになりました」(加藤)
フェーズ1では総量約3,000tであるが、プロジェクト全体ではおよそ5,000tのトロリ線を供給しなければならない。主に国内需要への生産をしていた時と比べ生産量が、約4倍と爆発的に増加することになる。どう対応するか。前出の南条が取りかかったのは生産体制の整備だ。なかでも人員不足は火を見るより明らかだった。早急に人材育成に取り組み、生産陣容を整えた。かつての台湾新幹線建設プロジェクトで、生産を担当していた実績が南条を支えていた。2017年初頭に生産開始、同年7月にはフル生産体制を構築した。しかし、インドと日本では、品質に対する考え方が異なることが、ハードルとして立ちはだかったのである。
「インド顧客にとっても一大プロジェクトであり、細部にわたるスペックが要求され、寸分の狂いもなく生産されているかどうかを確認します。ましてやその要求スペックが日本基準ではなく、欧州基準によるもの。この新たな基準に対する量産時の製造技術および品質保証体制の確立が、我々生産現場の大きな課題でした」(南条)
このハードルに当時対応したのが、前出の西川の後任となった中本稔だ。
「国内のニーズとの違い、要求の事細かさに当初は戸惑いました。しかし、インドのプロジェクトは今後の導電製品事業が飛躍する試金石となるもの。失敗はできません。何が問題だったのかを徹底的に調査・解析し、インドにより良い製品を届けるという使命感で、先方が要望する製品の開発・生産・品質保証に取り組みました」(中本)
導電製品事業部長である佐野忠徳は、2018年1月に現職に着任し、トロリ線生産のマネジメントに関わるようになった。
「大阪導電製品工場では、一般の電線に用いられる純銅線やトロリ線のような銅合金線を製造していますが、鋳造、伸線加工、品質保証という工程を適切にコーディネートすることで、安定的な生産、出荷を維持しています。また、人材の確保は常に重要なテーマであり、人材育成にも力を注いでいます。インドには今回のプロジェクトのみならず、新たなプロジェクトが具体化しており受注活動を続けています。さらに東南アジア各国も含め、鉄道事業への参画を拡大していきたいと考えています」(佐野)
大阪導電製品工場では、2017年以降、現在に至るまで、日々トロリ線が生産され、順次出荷されている。だが、多くはインドの倉庫に眠ったままだ。プロジェクトが様々な要因で遅延しているからである。2019年初頭になって、フェーズ1の一部で初めてトロリ線が架線された。トロリ線は線路が敷かれ、電柱が建てられた後でなければ架線できない。プロジェクトの進捗はDFC公社がマネジメントしており、公式の発表によれば、2020年3月に一部区間開通を見込んでいるが、計画通りにいくかどうかは不透明だ。一方で、佐野が指摘したように、インド国内ですでに始動している新たなプロジェクトがある。そこで住友電工グループがプレゼンスを発揮できるかどうかに、今後の行方はかかっている。