来年おかげさまで120周年を迎えることを機に、住友電工の歴史を振り返る企画をスタートしました。第3回目となる今回は、ありとあらゆる幅広い研究開発が着々と進められ、電線以外の事業分野へも発展させた1930年から約15年間の歴史をご紹介します。
【第3回】1930年~1945年
1930年 |
研究部の発足により新製品の研究開発が加速住友電工で現在も扱っているさまざまな製品の製造を開始しました。 超高圧研究室の開設経営環境の変化などさまざまな理由によって、1924年から建設計画が延期されていた研究施設が1940年に完成し、さまざまな研究がおこなわれました。高さ20mを超える空間で、自社設計の電圧装置を使用して巨大エネルギーを発生させる実験をおこなうなど、当時世界でも例のない研究施設でした。落成式では人工雷を起こす公開実験をおこない、招待客を驚かせました。 |
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1939年 |
現社名の「住友電気工業株式会社」に改称電線以外の分野にも事業が拡大したため、「(株)住友電線製造所」からの改名を決意し、事業の源が、電線・電気機器であったことから、現在の社名に変更しました。1945年にはGHQによる財閥解体関連の政令により、「住友」の名称を外した社名への変更と井桁マークの廃止を求められました。「東邦電気工業」を候補としていましたが、度重なる実施の延期や朝鮮動乱が起こったことで、政令が自然消滅してしまい、当社は改名をすることなく、現在までこの社名を使用しています。 |
1941年 |
伊丹製作所の操業開始需要が急増した超硬合金イゲタロイ®や特殊金属線の製造をおこなうため、伊丹製作所を開設しました。空気が澄んで閑静な伊丹は、精密度を必要とする超硬合金の製造にとても適していました。 |
1945年 |
4回の空襲(大阪製作所)1941年に太平洋戦争が勃発。戦争末期の1945年6月から7月にかけて、大阪製作所は4回もの空襲を受けました。その度に大きな被害を被りましたが、社員は諦めずに復興に努め、戦後いち早く立ち直りました。 |